高円寺散文散歩

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東京宝石と高円寺放送


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 『東京宝石』が、いつの間にか高円寺から撤退していた。
 かろうじて看板が残されている以外は、まったく跡形もない。つい最近まで視線の端にその存在を確認していたはずだから、おそらく10月のうちに撤収したのだろう。焦燥に駆られ、帰宅後ホームページをチェックしてみると、既に高円寺店は店舗リストから外されている。11月8日時点で、それはキャッシュでも確認できなくなっていた。
 高円寺在住者と言わず、高円寺という街に親しんだ者にとって、街の有線放送局--『高円寺放送』から流される『東京宝石』のジングルは特段に興味をそそられる存在だった。
 『♪ 輝きをあげよう~、きみ~は明日の子だ~、金銀パール、東京宝石~』
 こういったリリックの楽曲が、昭和30年代的な男女ヴォーカルと和製ソフトロック的アレンジで、街中に設置されたスピーカーというスピーカーから流されていたのだった。この曲が『高円寺放送』からオンエアされることはもうないのだという事実を前に、これでまたひとつ時代が終わってしまったのだと、私は感懐せずにいられない。
 さて、ここまで書いた段階で、既に数年前から『高円寺放送』そのものを耳にしていないかもしれないという事実に私は思いあたる。『東京宝石』の件と同じで、つい最近まで確実に耳にしていたはずなのだが・・・。気になって、『高円寺放送』がよく聴こえていた純情商店街入口周辺やルック商店街で、日を変え時を変え何度か耳をそばだてるも、やはり聴こえない。
 ここで『高円寺放送』について少々説明を加えなければならない。『高円寺放送』は高円寺の商店街や駅前に設置された30数台の野外スピーカーから流されている高円寺ローカルの広告放送で、商店街に実家を持つ私は幼少の頃から、どちらかと言えばうんざりするほどそのアナウンスやジングルを繰り返し聴かされていたように記憶する。と、言っても当時の商店街、取り分け高円寺パルにおいては現在では想像できないほどの大音量でセール告知やBGMを延々流してもいたし、向かいの玩具店がこれまた爆音で子供用TV番組の主題歌を流してもいたので、『高円寺放送』が特段騒々しいという印象はなかった。
 『高円寺放送』と言って、すぐに『バーボンハウス』のアドヴァタイズを連想するのは2000年以後に高円寺を訪れた人間で、古くからそれに親しんでいるものにとっては何と言っても上述の『東京宝石』、そして『ピンホー、ピンホー、麻雀クラブ・ピンホー』を、まず思い浮かべることだろう。かつてケラリーノ・サンドロヴィッチ氏が、自身の舞台の開演前にこれら『高円寺放送』のパロディー・ジングルを流した時には思わず腰が砕けてしまった。あれは2000年頃の作品だったろうか。
 さて、先ほど『東京宝石』の歌詞を思い出すままに書いてみたが、これは私の「聴き取り」を元にしたもので、実はこの歌詞については明瞭に聴き取ることができない部分が多々存在している。グーグルで検索をかけてみると同じように思っている御仁も多いようで、構成作家・脚本家の高橋かづゆき氏はなんと、思い溢れて『東京宝石』に直接電話をかけ訊ねてしまった旨ブログに書いていらっしゃる。僭越ではあるが、ここで氏が訊きだした歌詞を引用させていただく。

 『輝きをあげよう 君は明日の女 ビューティフルサン 東京宝石』
 (作家 高橋かづゆきの備忘録 2007年9月15日記事より 抜粋引用)

 「金銀パール」でなく、「ビューティフルサン」で、あったとは・・・。スピーカーの音質のせいも多分にあるだろうが、「ビューティフルサン」とは、さすがに聴こえなかった。
 ともあれ、『東京宝石(高円寺店)』はもう、そこに存在しない。『高円寺放送』も、いつの間にか聴こえなくなってしまった。
 『東京宝石(高円寺店)』がいつオープンしたかについては不明だが、わたくしが物ごころついた頃から耳にしていたことを考えると、少なくとも70年代には既に存在していたのではないかと推察される。気になって少々調べてみると、昭和52年(1977年)8月25日発行の杉並新聞に『高円寺放送』の広告が初めて登場しているのを確認することができた。『東京宝石』が店子として入っていた現高円寺ストリートが高円寺高架商店会からエンジー街という名前に改称されたのがおそらく昭和54年(1979年)頃。同店子である『むげん堂(本店)』の開店が昭和53年(1978年)ということを考え合わせると、『東京宝石』の高円寺出店、『高円寺放送』の開局は存外、昭和50年代(70年代中盤)頃のことなのかもしれない。思いの外そう古くもないが、それでも実に38年前のことだ。
 埼玉に本店を持つ『東京宝石』はもちろん、インターネットで検索すると『高円寺放送』も会社自体は継続しているようなので、これらのことを確認することもあるいは難しいことではないのかもしれない。あるいはJRの高架下管理会社や区役所に問い合わせ、事情を聞き出すことも可能かもしれない。しかしながら、過ぎ去ってしまったもの、遠ざかってしまったものに興味を持つのはいつでも物見遊山な私のような者だけで、当事者にとってそれを訊ねられることは、決して愉快なことではない。彼らにとってそれはまったくもって「懐かしい想い出」ではない。ここで彼らにそれを訪ねることは、やはりマナーに反することだろう。
 では、この稿の主たる目的は何だったのかと訪ねられれば、それはひとつの傍証として街の記憶を書き残したいというただそれだけのこと、である。やがて忘れられてしまう現時点の高円寺を記録しておきたいというただそれだけのものである。そしてそれは、このブログを始めるにあたって考えたことのすべてでもある。

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